『らっこ!らっこ!ラッコ!』掲示板 83384


長崎のラッコ達

1:ロフタス :

2019/06/07 (Fri) 18:31:12

初めまして
最近、ラッコが国内の園館から絶滅の危機と知り
ラッコブームとは何であったかを知るため記事を探していましたところ、このサイトにたどり着きました。
過去のラッコニュース、目を通させていただきました。

地元にマリンワールド海の中道があるので、マナ&リロを去年から折りを見て観に行くようにしています
大分らっこさんの訪問記録も合わせて見させて頂きました。
長崎の2園館のラッコの情報がないのが寂しいので図書館の新聞から断片的ではありますが長崎のラッコのことも知っていただこうと
情報を集めてきました。

こちらのサイトでは過去に遡ってのラッコ情報は受け付けておりますでしょうか?
マナの親戚や母方の血統に想いを馳せていただければと思います
2:muny:

2019/06/09 (Sun) 20:48:05

ロフタスさん、はじめまして。
ご訪問とコメントありがとうございます。
ラッコニュースも見ていただき、ありがとうございます。

金銭面も含め、当時は遠方のラッコのいる園館にはなかなか行ける機会もなく、残念ながら、長崎にラッコがいるうちに訪問するのができませんでした。情報を収集するにも、現在のようにネット状況も良くなかったので、情報を収集するにも電話やメール、直接訪問するのが主でした。

バイオパークはテレビ等で少し見る機会がありましたが、長崎水族館の方は状況も良く知りません。

ラッコの情報を教えていただけるのは、個人的にとてもありがたいです。特に、未訪問の園館の昔の情報はあまりありませんので・・・。もしよろしければ、よろしくお願いいたします。
3:ロフタス :

2019/06/09 (Sun) 22:36:17

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_628400/628350/full/628350_1560089351.jpg 興味を持っていただき感謝します
オホーツクからかごしまの水族館までラッコのために足を伸ばされた行動力、尊敬しています

図書館で探してきました読売新聞、西日本新聞、長崎新聞の過去の記事と、ウェブサイト上で見つけた他園館の記事からの情報です
長崎水族館、長崎バイオパーク、そして長崎から智佐達がやって来る前のマリンワールドのラッコ達のことを3回にわけてご紹介します

【長崎水族館】
1986年11月7日にアラスカより来館
雄1頭、雌2頭
同15日に一般公開
セレモニーではオウサマペンギンのぎん吉達のラッコ館への訪問による対面が行われる

【命名】♂:長太 ♀:崎、日見
来館して名前がつく前から長太が崎に猛アピールしていて、12日は交尾(紙面では"結婚")が確認されていたそうです
そして翌年1987年6月3日朝に生まれたのが智佐(♀)です
智佐の命名は当時の長崎市長

長太と崎夫婦は、智佐のあとに
1989年3月10日に健太(♂)、1991年6月2日に平太(♂)
をもうけています。平太の命名の一般公募には全国から5538通寄せられたそうです。
長崎バイオパークにも平太という名前のラッコがいた情報があるので、里子に出されていた可能性が高いです

長崎水族館閉館時に移送されたラッコ達は
智佐と名前のないその子供の雌と崎がマリンワールド
崎の孫である幸(♀)が長崎バイオパーク
太郎(♂)が八景島シーパラダイス
にそれぞれ移送されました
これは長崎新聞社の企画「平成の長崎」でも確認できます
長崎、ラッコで検索すると出てきます

なお、須磨海浜水族園の季刊紙「うみと水ぞく」第22巻4号海の散歩道の記事(http://sumasui.jp/cont/cont05/umi2204/u22041.htm)によると水族館生まれ同士の第3世代ラッコは長崎水族館では生まれていないようなので、長崎にいる間の智佐の子供はすべて近親交配で生まれたということになります。
当時ラッコ担当をされていた現ペンギン水族館館長に話を伺った時に近親交配の旨を仰られていたので確定です。

平太が生まれた後から閉館までのラッコ関連の出来事は名前のない子供の事の他は見つからなかったので、館長に集めた資料を見てもらいながら改めてお話を伺ったり他のルートで探すつもりです。
智佐は国内で最も多産でしたが、福岡に来てようやく次の世代に繋がる子供を残せたんですね。そして大分のラッコのカイとすぐに意気投合して第4世代のマナに繋がっているという
最後に証拠文献として新聞記事を載せときます


バイオパークとマリンワールドはのちほど時間を空けて追記します。


4:ロフタス :

2019/06/12 (Wed) 03:02:51

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_628400/628350/full/628350_1560277180.jpg 【長崎バイオパーク】
アラスカから雄1頭、雌3頭で来園
一般公開は1986年10月12日
九州で最も早くラッコの展示を開始したのがここ

長崎バイオパーク大幅リニューアルで飼育開始となり、その飼育のために作られた2階からなる、北極館水槽で上部は水面・陸上と下部は水中からのラッコの様子を観察できる

4匹のラッコの愛称は子供を繁殖した2匹のみ記事で取り上げられていて、リョウ(♂)・モッコ(♀)
1987年4月7日 第1子誕生
1992年2月9日 第2子誕生
1993年8月6日 ハム(♂)誕生 公募に約3400件

ハムくんの活躍は西日本新聞の
1996年10月12日に取り上げられています
記事抜粋
「輪投げなどを披露し」「いつの間にか、自分が食べた貝の殻を飼育プールの底から拾ってきては係に返すようになったという。今ではバケツにバスケットボールを入れたりするようになった。」

須磨の資料によると‘97~‘98には第3世代ラッコが3匹生まれていますが、詳細は不明です。
他の園館にもそれらしいラッコの記録はないので、長くは生きられなかったと思われます。

ラッコの飼育終了時期については
今は使われていない、前の長崎バイオパークのHPの質問コーナー(HPリンクより飛びます)で2000年8月に最後の個体、平太が病気で死亡したことにより
終了とありました
‘98に長崎水族館から譲られた幸(♀)はあまり生きられなかったみたいです。

ラッコのいた北極館は、オタリア→ゴマフアザラシ→ピラルク→ケープハイラックスの棲みかへと変わっていきました。

長崎バイオパークに直接ラッコの事について尋ねました。
当時の細かいことは覚えておられないとの事で、最大で5頭いたと仰ってました。
5:ロフタス :

2019/06/12 (Wed) 21:49:05

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_628400/628350/full/628350_1560343879.jpg 【マリンワールド海の中道】
智佐たちが長崎からやって来る前にマリンワールドで暮らしていたラッコ達についても調べました

ラッコニュースでは、アスカ(キャンディー)♀と大分からやってきたカイ(トントン)♂がいたことが判明してますが実は他にも4匹のラッコがいました。

マリンワールドは1989年4月18日にオープンしましたが、4月10日に雄のラッコが1頭だけ搬入されています。
1990年2月25日の記事でこのラッコの愛称はラッキーであることが判明します。
新聞でラッコのことを調べる前、オホーツク水族館のノンフィクション本「がんばれ!赤ちゃんラッコのラリー」を読んでいました。
そこで大きくなったラッコの子供、ラッキーとリッキーを里子に出す本間館長の決心が書かれているのですが、ラッキーが海の中道海浜公園へ引き取られたことが書かれています。
新聞には書かれていませんが、オホーツク水族館から譲ってもらったラッコ、ラッキーがマリンワールドのラッコ第一号のようです。少なくとも1年は1頭で頑張っていました。

遠く離れた土地に里子に出しているのが不思議なところですが、マリンワールドの初代館長森友忠生著「動物園へ行こう!」では本間館長と私信の手紙のやり取りをしていて、クリオネの展示の手引きをしてもらったことが書かれています
大分マリーンパレスにもサンサン達が来る前に父親のラック とミミを貸し出した記事が大分合同新聞にあります。

そしてその1年後、アラスカ州から2月23日雄1頭、雌3頭が搬入されています。
1989年3月、アラスカでタンカーの事故があり周辺の生き物が大量死したため保護のためラッコの捕獲は禁止になっていたのですが、その時に原油にまみれた雌が出産した子供がシアトルの水族館で育てられその子達が特別に輸出を認められたそうです。
4月18日に開館一周年で一般公募(8874通)の命名式が行われ、うち2匹の雄雌にそれぞれゲン(♂)とアスカ(♀)が命名されました。
ゲンは玄界灘、アスカはアラスカにちなんで、名付けられたそうです。
アスカは2000年に三津に嫁入りするまでマリンワールドにいたことがわかっていますが、3頭とラッキーがどれくらい生きたかはわかりません。
何年かおきに行われているラッコの餌の量と食費に関するインタビューで、1993年には3頭、カイがやってくる直前には2頭になっていたことはわかっています。

カイとナダの前にゲンという雄のラッコがいたことが判明したので、これまでの雄のラッコは玄界灘というワードになる流れで命名されていたことがわかりました。
新聞で調べる前にマリンワールドのスタッフに、智佐達より前の時代にいたラッコのことを聞いたのですが、なぜか新聞と搬入の日付が食い違っていたりマリンワールド30周年記念誌(HPリンク)でも違っているので初期のラッコのことはスタッフの人達も知らないようです
ゲン→カイ→ナダ→"ナダ"から1文字取った"マナ"
と受け継がれてるのが胸熱です
長太と崎の子供"智佐"の命名を長崎市長がやっていたのもそうですが、
機会があれば、「どうぶつのくに」でブログを書いているラッコの飼育員さんに伝えたいです。

お伝えしたい九州のラッコ情報はひとまずここまでです。
まだ情報を集めていますのでまとまりましたらお知らせしますので、よろしくお願いします
6:muny:

2019/06/17 (Mon) 02:04:55

ロフタスさん、たくさんの情報を本当にありがとうございました!
過去のラッコ情報について、ここまで詳しく掘り下げて調べるのは大変なことだったと思いますが・・・。

バイオパークのラッコは平太と幸くらいしか知らなかったので、とても興味深かったです。
長崎水族館の新聞記事「平成の長崎」については、ラッコニュースの方でも紹介しておりましたが、長崎水族館でのラッコの写真はほとんど見たことがないので貴重なものを見られて嬉しかったです。

海の中道については、ある程度は過去に情報を得ていましたが、特にまとめてHP上には載せる等はしていませんでした。(ラッコがいなくなった園館については、簡単にまとめていたページがあったのですが、諸事情で現在は削除しています。申し訳ありません・・・。)

新聞等と搬入の日付が違うのは、公開された日や搬入された日が混同されているのかもしれませんね。

マナの名前は、お母さんの「マリン」とお父さんの「ナダ」から一文字づつとって名づけられました。玄界灘にちなんでいたこともおもしろいですよね。

ラッコのラリーは私も本を持っていますので、読みました。
海の中道については「どうぶつのくに」にも載っていましたので、ラッコニュースで紹介しておりました。

http://www.doubutsu-no-kuni.net/?p=34505&fbclid=IwAR2tGAhJdBZJdcY8iqFucArMSFKD1s-Jzg5eWnrBWkm6iKg3mEeK9JHnNzs


海の中道が地元にあるとのことで、うらやましいです。
引き続き情報を集めていらっしゃるとのことで、大変と思いますが、また是非教えていただけたら嬉しいです。

昔の新聞の記事などは、リンク先が無くなっているものばかりで、見直したくても探すこともなかなか難しく、詳細を教えていただけるのはとても嬉しいです。

情報はこちらの掲示板でも、メールでも、どちらでも受け付けています。

私も、各園館についていろいろと詳細をまとめたいと思ってはいるのですが、なかなか手を付けられずに現在に至っています・・・。
7:ロフタス :

2019/06/17 (Mon) 18:23:20

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_628400/628350/full/628350_1560858673.jpg 目を通していただいてありがとうございました。
すでにラッコニュースで紹介済みの情報もあったんですね
フェイスブックに移行してからのラッコニュースは何度も目を通せていませんでした。時間があるときにそちらも改めてチェックさせていただきます。
新聞の写真は喜んでいただけてよかったです!

国内のラッコの事を調べている動機は
ネット環境がなかったために、園館の記憶からも忘れられてる少し昔の出来事を
知りたいと思った人のためのお手伝い。
今は当時の園館が無理をしてでも手に入れたいと考え、命名にも応募が殺到、ラッコのために来場客が押し寄せたというラッコブームが加熱していた時代はどんな雰囲気だったのか知りたくなったので
調べています。

同じく情報のない屋島水族館のラッコについては公式HPの略歴やネットの口コミでも一切情報が見つからないので
四国新聞の記事検索でもしないと見つからなそうです。
それはちょっと厳しいのでやっぱり九州限定で調べていくことにします。
いつか新聞記事のコピーそのものもお見せしたいです

最後に今年の春から長崎ペンギン水族館で、長崎水族館時代を含めたこれまでの歴史を振り替える展示でラッコの写真がありましたので貼っておきますね。
崎と子供時代の智佐の下敷きです。

サイトの更新も難しくなってきているとの事ですので、こちらでもラッコの飼育史を紡ぐためにこちらでも何かやってみます。

※追記
フェイスブックのページは操作が分からず敬遠気味だったのですが把握出来ました。
結構詳しく書かれてましたね。ちゃんと読んでおらず失礼しました。
8:muny:

2019/06/21 (Fri) 01:59:47

お返事遅くなりすみませんでした。
FBは登録していないと特に見にくいかと思いますので、その辺は本当に申し訳ないと思っています・・・。こちらこそ、すみません。

サイト自体も古く、新しくいろいろ作り直したいところなのですが(^^;

屋島水族館はラッコがいたのは確かですが、展示されていたのかどうかは不明です。ラッコがいた期間は長くなかったと思うので、それに関する情報を集めるのは相当難しいかなと思ってます。

長崎水族館時代の展示があったんですね。下敷きは崎と智佐なんですね。写真ありがとうございます!
機会があれば、新聞記事等も是非拝見したいです!

私がお手伝いできることは少なそうですが、もし何かありましたら遠慮なく聞いてください。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

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